昨日、家の御宝前下の戸棚から20余年前の宗務本庁・弘通
局発行、信行充実正宗徒増加運動・総助行実践マニュアルの
小冊(25頁ほどの)を見つけ、そのうちの1部をご披露さて
頂きます。
助行は育成の一つの形であり、次に助行は先方の修行を助け
るのが本意であり、助行者自身にとっても大切な修行です。
助行は口唱が中心で、御看経をわずかあげて、あとはお茶を
呑みついひとの噂に花が咲くような助行席では“助行がマイナス”
になり、お助行が弘通の妨げになる。朝夕の御看経をあげるよう
にという折伏は必要なことです。
金持ちが貧しい者に施すことを慈善という、アメリカなど外国で
は“慈善パーティー”を盛んに行われている、慈善に名をかりて、
自己宣伝的なものが多いということです。
それでも人が助けられればよいのではないかという意見もある
かもしれませんが、果たして“ひとのため”という形で自己宣伝的
な行為であればいかがなものでしょうか。
これと同じ意味から、年間60回以上助行すると1点になると
いうので、点数稼ぎの助行というのでは「自分本意」ということに
なり助行の本義から外れるのではないでしょうか。
佛立開導日扇聖人・御教歌に
いか程に施しなさけする人も
法華ぎらいは皆悪人
とありますが、法華の修行は、仏性開顕の行です。仏性開顕
のあげのものでないと、必ず人間というものは、それを誇ったり、
恩にきせたりという具合に、いつもポイントが自分にあるという事
で、これでは自分本意です。
施の中心思想は三輪体空と申しまして、
施す人------行為を忘れ恩に着せない
うける人-----卑屈の念を持たない
施す物品---価値を云々せぬ
となり、おのれが苦労して行うことが、ただ相手のためになれば
よいという極めてさわやかなもの、他本意でなければならぬと
いうことです。
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